かわい有美子(かわいゆみこ)さんの 【夢にも逢いみん】
■夢にも逢いみん■
たとえ夢の中でもいいから逢いたい・・・ 昔の歌に乗せた言葉の意味って
断然、現代語よりも深みがあって、奥行きと真心が感じられて、いいですねぇ~。
"夢にも逢いみん"と豊かで大きな愛情を注いでくれる男性(ひと)から
熱烈な想いの丈を込めた歌を受け取った、たぐい稀なる美貌を備えた、
後に帝となる桂の宮は、皇女でもあり、また後に岩倉帝の中宮として
入内した女性(ひと)を母に持ち、父帝である岩倉帝がゆくゆくは、
桂の宮の腹違いの兄である東園帝の次に即位できる身分の東宮にと、
遺言を残していたにも拘わらず、父、岩倉帝や母宮を早くに亡くしてしまった
ことから後ろ盾になってくれる人もいぬままに桂の宮は、
腹違いの兄東園帝の母である皇太后よりの横槍で、
女きょうだい(姉妹)と共に身分に
相応しくない質素な暮らしを余儀なくされ、世間から身を隠すように
数少ない従者達とひっそり暮らしていたところを従兄弟でもある
藤原尉惟(やすちか)の手で、幼少の頃より守られ慈しまれ導かれ、
やがては本来あるべき道である、帝に上り詰めるまでが、鮮やかに
描かれています。
※「中宮」という言葉の本来の意味は「皇后の住居」である。
転じて、そこに住む皇后その人を指して「中宮」と呼ぶ。※
「これから先もずっと自分の事を愛おしいと思ってくれますか?」と
訊ねた桂の宮に・・・・
ふたりの関係を比翼連理に喩えて、
「天に在りては比翼の鳥、地に在りては連理の枝」と長恨歌の中の
一節を書きつけ、改めて宮への愛情を記した尉惟。
はたまた、
「私がもし、尉惟よりも先に儚くなれば、夢の中までも探しに
来てくれますか?」とまたもや訊ねる桂の宮に・・・・
「きっと千里の道を翔けても・・」と応える尉惟。
これだけ相思相愛で想われていても、さまざまに状況や環境が
変わるように、桂の宮の気持ちの中に闇と歪が広がってゆき、
宮は、尉惟の気持ちを疑い、疑心暗鬼に陥ってゆきます。
そんな桂の宮の姿を前にして、だんだんと尉惟のほうも、
自分がふたりにとってよかれと、とってきた采配が失敗であったのかも、
と思ったりするわけですが。
一度すれ違ってしまった人の心ほどやっかいなものはないなぁ~と、
この二人を見て考えさせられましたね。
こういうのって時代は変われどもっていうヤツで、いつの時代も
やっかいなものです。
生死の境を彷徨った時、桂の宮が尉惟の真心を知ります。
そして、以前の様に尉惟の気持ちに近く寄り添った時、
自分が身に付けている扇に尉惟の自分への想いが切々と
綴られた恋文を目にし、尉惟の自分に向けられた大きな愛情を知ります。
これが冒頭に出てくる"夢にも逢いみん"という句になります。
一部省略・・・・・
[千里を越えて夢にも逢いみん]
涙をこぼし、その気持ちを思う宮。
自分が瑣末な事柄に捉われて心を閉ざしていた間も
ずっと変わらずに愛情を注いでくれていた事を知ったわけです。
・・というのも、桂の宮が生死の狭間にいるとき、
尉惟がある行動にでます。
決して親兄弟でもなかなかできぬことをやってのけたのです。
ある行動とは?
本を手にとってからのお楽しみですね ♪
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