『この子はできそこないだよ、 情けない子だよ。』
自分を否定する言葉を受けて育つと、心の中にある種の"トラウマ"の種を宿し、どんな形であれその種は育っていくのかもしれない。
『気にしなくていいのよ、~できなくたっていいのよ。』
そんな言葉と、労わるようになでてくれる手があれば・・・・。
物語の中では、こんな慰め役も登場し、心を慰めてくれるだろうが。
そのような手や言葉を欲しても、決して与えられることのない現実が待っているのだとしたら。
そんな物語にふれることで、自分の中の小さな種と向き合い、これまで澱んできた澱の"ヒトカケラ"を自ら咀嚼し、飲み込んでしまえるだろうか。