"わたし・・あの子嫌いやねんっ。 そやから、断ってん!" と、受話器を置いてすぐに、母に向けて放った言葉。
そんな言葉を投げつけた相手は、学校でも家に帰ってからも、よく遊ぶことのある仲良しさんだった。彼女の存在は、普通っていうものとほんの少し違っていた。
お父さんは警察官ということで、彼女はその家の"もらいっ子"ということだった。
何故にそんな他所様の大事なプライバシーをわたしが知っていたのか?
それは、彼女が"自分は養女である"ということを、早い時期から知っていたからである。
物心つく頃から、養い親たちからその事実を聞かされて育ったのだという。
彼女はとっても明るい性格で、ちっとも意地悪なところのない、活発な女の子だった。
背も高くスラッとしていて可愛い容貌をしていた。 なのに、学校ではよく男子に苛められていた。 そして、一部の女子からも"チクチク"されていた。
この頃、クラスメイトの中には特別意地悪な女子が1~2名いたので、わたしだって時々"チクチク"意地悪されることはあったのだけれど。・・・・・・・・。。。。。。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
断ったというのは、「日帰りだけど、両親と遠出するから一緒に行かないか?」というお誘い。
正直に云ってしまおう。
その時、わたしは思い切りうれしかったのだ。 今でも、その時の気持ちを覚えているくらいに。
それなのに、断った上に、母に向けての酷い言い草。 なんで?そういうふうな展開になったのか? 後から何度も自分の気持ちを分析したほどに、自分でも分からないのだ。
遠出を断ったのは、本当に行きたくなかったからだと思うけれど・・・・。
誘ってくれたことに対しては、すごくうれしかったはず。 きっと、うれし過ぎた気持ちをあんな風にゆがめてでしかわたしには表現できなかったのだと思う。
こんな風にわたしを誘ってくれる友達がいるのだと誇らしかった心情をあんな風にしか表現できなかったアホで愚かなわたし。
その残酷な言葉の代償に、わたしは報いを受けたのだ。
一生償えない報いを!
切ったはずの受話器が、置き方が悪かったのか切れてなくて、おまけに彼女の方はまだ、受話器を耳に当てたままだったようで。 翌日、学校で云われたのだった。
「美夜ちゃん、わたしの事嫌いだったんだね?! 昨日聞こえてたよ。」って。
その後、どーだったのだろう? あんなに一緒によく遊んでた彼女とどんな付き合いになったのか。 もう記憶の中には断片的なことしか残ってなくて、覚えてないのだけれど。
ただ、その後仲良く一緒にいた記憶がないので・・・・・。
おそらく彼女は、彼女からの信頼を失くしてしまったわたしから、離れていったように思う。
同じ中学に行った彼女の存在は、驚くほど変わっていった。
いつも男子に苛められていた女の子は、何時の間にか同級生のみならず上級生からも直接あるいは手紙を貰って告白されるほど、モテモテの美少女として存在するようになっていた。
さなぎが蝶になるような著しい変貌に、いやっ、少し違う・・・蛾のような扱われようだった彼女が蝶のような扱いを受けるのを見て、同じ小学校から上がった元クラスメートや同級生達は、ただただ・・・驚くばかりだったかもしれない。彼女自身がいきなりきれいになって素敵になった訳ではなく。
元々、可愛い容姿をしていた子だったのだし。
要は、ガキンチョな男の子には、きれいなものを "きれい" と感じ取れるだけの感性もなく、気付けなかったというだけのつまんない"オチ"なのだ。
年頃になって初めて出会った思春期の男子に、彼女はたいそう眩しく、マドンナのごとく映った・・ということだろう。
チャンスがあれば、「あの時のヒドイ言葉は、テレが言わせたもので、決して本心ではなく、わたしはあなたのことをちゃんと好きだったよ」と、告げようと胸にしまってはいたのだけれど。
その後、中学で同じクラスになることはなかった。
廊下等で偶然2人っきりになるっていうこともなかった。弁解して謝るチャンスは、巡ってこなかった。 高校は分かれてしまっていたし。 最後に会ったのは、いつだったか・・・・。
お互いに20歳を過ぎた頃に、最寄駅の近くにあるブティックや飲食店の連なったショッピング街でばったり出会ったのが最後だったかもしれない。
お互いの差しさわりのない近況を語って別れた。
わたしは幼い日の失態を挽回することはなかった。
"嫌いなんかじゃなかった、、、友達として遊んだ日々は懐かしく、楽しい想い出だった。"という、わたしの本当の気持ちは届けられないまま。
思春期に入ってから、あちこちの男子から人気のあった友達のことだから、女友達もたくさんできてたかもしれない。 たくさんの同級生から注目され好かれた貴方だから、わたしなんかの発した愚かな言葉など心の傷にせずに、そんなもの蹴散らすほど心が満たされていたと信じたい。