ちょっと過去記事を探してみました。
※イ・ビョンホン「次の目標も映画俳優です」
15日午後、済州国際コンベンションセンターで開催された
「第13回春史羅雲奎映画芸術祭」の授賞式でトップスターイ・ビョンホンが、『甘い人生』で主演男優賞を受賞、今年
「韓国映画評論家協会賞」の主演男優賞を受賞したことに引き次ぎ、連続2冠王となった。
イ・ビョンホンは受賞の感想で「
『キム・ジウン監督でなかったら、このような栄誉を受けることができなかったと思います。すべての栄光をキム・ジウン監督に捧げます』とキム・ジウン監督が話せと言いました」と語り、会場を沸かせた。またイ・ビョンホンは受賞後、次の目標を問う記者の質問に「映画俳優です」と答えて注目を集めた。
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イ・ビョンホン(이병헌, Leebyunghun)
徹底した自己管理でいつも新しい姿をみせてくれるプロの演技者、イ・ビョンホン 微笑みの美しい男、イ・ビョンホンは1991年KBS 14期公採で選ばれた後、TVドラマを通じてタレントとして活動を始めた。
当時、彼は秀麗な外貌と自然な演技で多くのファンを確保した。
時には猪突的なドンキホーテで、時にはジェイムズディーンみたいな挑戦的な眼差しで青春スターの代名詞に浮び上がった。
特に、ジェイムズディーンを思い浮かべるような反抗的でタフな魅力とトム・クルーズのような爽やかなほほ笑みは、不調和の中で調和を成して数多くの女性ファンを虜にした。
1995年にはグ・イムソ監督の
「誰が私を狂わせるのか」で映画デビューしたが、あまり大きな成功をおさめることができなかった。
以後、出演した
「ランナウェー」、「彼らだけの世の中」、「地上挽歌」も興行に失敗、主演俳優でイ・ビョンホンは興行できないという不名誉なレッテルが貼られたりした。
しかし1999年、純粋な先生役で出演したイ・ヨンジェ監督の
「我が心のオルガン」が興行に成功、はじめて「興行俳優」の列に上がるようになった。
「我が心のオルガン」でイ・ビョンホンは、山里の小学校に新任した独身の若い先生「スハ」で登場する。
「我が心のオルガン」は、スハと年は多いが小学校に通う「ホンヨン」(チョン・ドヨン)と、年上の同僚女教師の恋物語である。しかし、一般的な三角関係を描く哀しいお涙頂戴物語とは程遠い、
いきいきとした春風みたいな恋物語である。
また、パク・チャンウク監督の
「共同警備区域JSA」とキム・テスン監督の
「バンジージャンプする」も続けてヒット、演技力だけではなく興行性まで取り揃えた俳優として新たに位置を固めた。
「誰が私を狂わせるのか」(95年)「ランナウェイ」(96年)「地上挽歌」(97年)等でこれといった印象を残せなかった彼は、
六番目の映画である「私の心の風琴」(99年)で『まともに演技した』と言われてかえってプライドが大きく傷ついた。演技は常に全力を注いでいるのに、どうして興行によって評価がわかれるのかと思っていた。しかしこの頃は自分の欠点を認めることができる。
『以前は人物にのめり込み過ぎたようです。ですから少しばかり「大げさ」ではなかったかと思います。(頭をかきながら)最近はシナリオをもらうと人物より作品全体を把握するようにしています。だからちょっと変わったようです。』では韓国最多の観客を動員した「共同警備区域JSA」は壮快なパンチのような映画ではなかったと思う。「JSA」以後ずいぶん変わったようだ。
今では自分も「興行俳優じゃないですか」といえば笑っているが、実際映画製作から少なくない依頼を受けている。
ソン・ガンホが「…JSA」以後、作品を慎重に選んでいるのに比べれば、すでに新作の「バンジージャンプをする」に出るのはちょっと早過ぎないかと心配だ。
だが彼はこの映画のシナリオを見てはとても断れないと話した。
独特な素材の映画で、初恋の女性が死んで17年後に男子学生として生まれ変わった彼に愛情を感じるという話だ。
映画の公開前に同性愛騒動があった点に対して彼は『映画に同性愛というコードがあるとは全く感じませんでした。
映画を見れば主題が同性愛ではないという事がわかりますよ。それで同性愛騒動もそれほど気にしませんでした。本当に同性愛の映画だったら出演しなかったでしょう。』と話す。
『結婚はしないんですか』と言う質問に、彼は『とてもしたいです。』と喜色をあらわした。
『時間があってこそ恋愛をするでしょう。』と話すその言葉で、この頃いかに忙しいかを知ることができる。
◆ イ・ビョンホンは高校生の頃、映画監督が夢だった。
友人と一緒に青少年映画祭に出品しようと決心してシナリオを書いた。
ラブストーリーのある青春映画だった。
なんとなく感じも良く、緊張感も生まれた。
弾む気持ちでカメラを借りるため、あるレンタルショップに行くと学生の身分ではとうてい借りられないくらい高価だった。両親に手を合わせて頼んだが、かえって叱られてしまった。その時の彼は静かに夢をたたんだ。その後は芸能界に足を踏み入れるつもりはなかった。
そうこうして漢陽大フランス文科1回を終えた後、入隊するために準備をしている時に母の友人がタレント入社願書を持ってきたことが芸能人の道に入る契機となった。
1991年KBS採用タレントとして入社した彼のデビュー作は、ドラマ「アスファルト我が郷土」。
「共同警備区域JSA」を省いて記憶に残る作品は、シム・ウナと共演したSBSテレビドラマ「美しい彼女」と映画「私の心の風琴」だ。
大らかな性格だが几帳面な部分もある。
撮影を終え、セットを全部片付けた後も未練が残り、撮影したフィルムを一人で何度も見るのはいつものこと。
この頃は時間がないので運動があまりできないが、水泳、テコンドー、ゴルフ、バドミントン等、自他が認めるスポーツ マンでもある。
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